第131回 作家・中島敦(なかじまあつし)と久喜
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
皆さんは「山月記(さんげつき)」という作品をご存じでしょうか。「山月記」は、中国を舞台に、詩人を志した主人公が虎になってしまうという物語で、漢文体独特の格調で書かれています。その文体と内容が一体化したこの作品は、高校の国語の教科書にも掲載されていて、その印象深さから記憶している方も少なくないでしょう。作者の中島敦は、父方の実家が久喜であるという縁故から、幼少期を久喜で過ごしています。
中島敦は、明治42年(1909)、中学校の教諭をしていた父・中島田人(たびと)と母・チヨの長男として、母・チヨの実家である東京市四谷(よつや)区で生まれました。敦は母のもとで育てられますが、すぐに両親は事実上の離婚関係となります。その後、明治44年(1911)から大正3年(1914)までの間、敦は埼玉県久喜町(現久喜市)の中島家で、祖母や伯母たちの手によって育てられました。敦が育った久喜新町の中島家は、祖父・中島撫山(ぶざん)が漢学・国学を教えた学舎(がくしゃ)を、明治42年に久喜本町から移築して転居したばかりでした。敦がこの頃描いた絵が残されていて、幼いながら漢字で自分の名前を書いたものや、身近なおじを描いたらしい、ひげを生やした人物の絵などが確認されています。大正3年、父・田人の再婚を機に、敦は奈良県へ引っ越し、父と一緒に暮らします。その後、父の転勤に伴って静岡や朝鮮半島など各地を転々としました。
敦の作品「斗南先生(となん)」に久喜のことが触れられています。「斗南先生」は敦の伯父・中島斗南をモチーフに書かれた作品で、作中、「利根川べりの田舎」から届いた斗南のはがきが登場するのですが、この「田舎」が久喜のことを指しています。
郷土資料館では、令和4年10月8日(土曜)から12月4日(日曜)にかけて、第12回特別展「敦 中島家の系譜―中島敦没後80年―」を開催します。中島敦の生涯と作品を振り返るとともに、久喜を中心に漢学や国学を広め、敦の創作にも影響を与えた中島家の系譜についてご紹介します。ぜひお越しください。
※特別展は令和4年12月4日(日曜)をもって終了しました。
所在地
郷土資料館(鷲宮5-33-1)
このページに関するお問い合わせ
教育部 文化振興課
〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
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