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第114回 渋沢栄一にも教えた儒学者 菊池菊城(きくちきくじょう)

更新日:2021年6月29日

問い合わせ先:文化財保護課文化財・歴史資料係

 菊池菊城は、天明5年(1785)に武蔵国埼玉郡台村、現在の久喜市菖蒲町台に生まれました。幼い頃から学問好きで、20歳の時に江戸に出て儒学を学びました。学問を修めた後は、亡くなるまでの約50年間にわたり、現在の埼玉県、東京都、神奈川県、静岡県、山梨県、新潟県、富山県などを回り、人々に儒学を教えていきました。その教えを受けた人は、一説に2千人とも3千人とも言われています。
 このように「遊歴(ゆうれき)の儒者」として知られる菊城ですが、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一との関係が特に知られています。栄一が幼い頃、菊城は現在の深谷市に私塾「本材精舎(ほんざいしょうじゃ)」を開きました。この塾は栄一の伯父にあたる渋沢宗助宅を使用したものです。後に栄一が師事する尾高惇忠(じゅんちゅう)は菊城の教えを受けていました。栄一自身は、安政元年(1854)頃に菊城の講義を3、4回聞いたことがあり、講義をよく解釈したので褒められた事を覚えている、と後年に語っています。
 また、菊城は後に新選組の隊士となる人々とも関係があったと言われています。菊城は、嘉永4年(1851)から万延2年(1861)まで、現在の東京都町田市の小島家でたびたび講義を行っていました。同家の鹿之助は、後に新選組局長となる近藤勇と義兄弟の契りを結んでいたと言われており、近藤や土方歳三、沖田総司などが剣術稽古のため同家に出入りしていました。菊城と近藤達が同家に出入りしていた時期が重なることから、彼らが菊城の教えを受けていたとも考えられています。
 歴史に名を残す人々にも教えていた菊城は、晩年を過ごしていた現在の神奈川県愛川町で約80年の生涯を閉じました。同地の勝楽寺には菊城の墓が残されています。


菊城が所有していた書籍(郷土資料館蔵)

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電話:0480-58-1111 Eメール:bunka@city.kuki.lg.jp
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