第102回 鳥居に残された記号の謎を追え!~川通神社(かわどおりじんじゃ)の几号(きごう)~
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
日光道中沿いの栗橋地区の小右衛門に川通神社があります。江戸時代には香取社と呼ばれ、小右衛門村の鎮守でした。大正3年(1914)に他の神社と合祀(ごうし)し、川通神社と改称しました。
この川通神社の鳥居の基礎には漢字の「不」に似た不思議なマークがあります。このマークは「几号」と呼ばれ、標高を測定する際の基準点を表すために使われました。川通神社の鳥居は宝暦(ほうれき)14年(1764)に建てられたものですが、明治9年(1876)頃に几号が刻まれ、標識(几号高低標)として利用されました。
当時、明治政府は欧米の進んだ技術を取り入れるべく、多くの「お雇い外国人」を高待遇で雇いました。このとき、基準地点から標高の絶対的数値を求める「水準測量」がイギリス人から伝えられ、東京から宮城県塩竈(しおがま)までの計387キロメートルにも及ぶ測量が行われます。その際に、基準点となる几号高低標が旧日光道中(奥州街道)沿いに設置されました。水準点を独自に設ける現在とは異なり、当時は神社の鳥居や狛犬の台石など、耐久性に優れた既存の構造物を中心に刻印されました。
ここで改めて几号を見ると、やはりその独特な形が目を引きます。これはイギリスで使用されていた測量の記号が由来となっています。日本に持ち込まれた際、「不」の形が三脚のついた机に似ているため、机という意味をもつ「几」の字を当てて「几号」と呼ばれたとされています。
几号高低標は現在も東京・塩竈間を中心に残されていますが、市内で確認できるものはこの1点のみとなっています。日本の近代化が窺える貴重な文化財となっています。
川通神社
「几号」の図
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