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第65回 中島敦の小説「斗南先生」

更新日:2017年8月28日

 中島敦の小説『斗南先生』には、中島家の実在の人物が登場することや、「利根川べりの田舎」という表現で中島家の久喜新町宅が紹介されていること、そしてこの小説がほぼノンフィクションであることなどが、本市にとって意味のあるものとなっています。
 斗南先生は、安政6年(1859)に中島撫山の次男として江戸で生まれます。名前は端蔵、名乗りはまさし、斗南・勿堂は号です。
 敦も、小説の中で、「6歳で書を読み、13歳で漢詩漢文を能くした」と記し、「非常な秀才」「儒学的な俊才」と評するほどでした。
 明治15年(1882)には、久喜本町宅に私立学校言揚学舎を開いて舎主となりました。しかし、数年で弟の竦之助に引き継いでしまいます。
 明治21年(1888)に政事小説『野路之村雨』を著し、翌年に无邪志会という政治団体を設立し、翌々年の第一回の衆議院議員選挙に立候補しますが、あえなく落選してしまいます。
 その後、県会議員であった宮内翁助(中島撫山の弟子、後に衆議院議員となる。)と意気投合し、明治26年(1893)に翁助と一緒に私立専門学校明倫館を設立して館長の職につきます。しかし、明治32年(1899)に館長の職を辞してしまいます。
 明治35年(1902)に中国に渡りますので、久喜の地での目立った活動はこの頃でほぼ終わり、昭和5年(1930)に病気で亡くなります。
 敦は、伯父・斗南先生の死によって、それまでの子どもじみた発想に気づかされ、冷静になって本当の自分の心をとりもどし、大人へと成長することができたのです。
 皆さんも、ぜひ中島敦の小説『斗南先生』を読んで、市ゆかりの人物に思いをはせてみてください。

斗南先生(中島端蔵)

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