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第73回 「菖蒲」という地名

更新日:2018年12月3日

 早稲田大学の講師をしていた岩本素白(いわもとそはく)(1883~1961)が、昭和13年(1938)に刊行した『山居俗情(さんきょぞくじょう)』という随筆集のなかに、「騎西(きさい)と菖蒲」という作品があります。以前から菖蒲という珍しい町の名前だと思っていた場所を、ふと訪れてみたときの随筆です。 また、久喜東小学校や太東(たいとう)中学校の校歌を作詞した大木実(おおきみのる)(1913~1996)が、昭和46年(1971)に刊行した『冬の支度(したく)』という詩集のなかに、「菖蒲という町」という作品があります。菖蒲という優しい名をもつ町と感じていた場所を、実際に訪れたときに生まれた詩です。 どちらも、「菖蒲」という地名に不思議な親しみを覚えて当地を訪れ、当時の「菖蒲」の日常を感じて作品ができあがりました。
 今回は、この不思議な「菖蒲」という地名について、次の2つの伝承を紹介します。 1つは、菖蒲町菖蒲の吉祥院(きちじょういん)に伝わるもので、下野国(しもつけのくに)を巡っていた行基(ぎょうき)(668~749)が、この地で宿を探しました。しかし、人家も見当たらず、南の方角で沼が白く光っているだけでした。その辺りの一面は、菖蒲や柳が密生していたので、これが菖蒲の地名の起こりになったというものです。
 もう1つは、古河公方(こがくぼう)足利成氏(あしかがしげうじ)の家臣金田式部則綱(かねだしきぶのりつな)が周囲の自然の沼地を利用して、康正(こうしょう)2年(1456)に、この地に城を築きました。この城が完成したのが、端午(たんご)の節句(せっく)である5月5日だったので菖蒲城と名づけ、この地域を菖蒲と称したというものです。この菖蒲城は、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、天正(てんしょう)18年(1590)に、残念ながら廃城となってしまいました。
 「菖蒲」という地名の由来については歴史的にはっきりしませんが、何気ない日常のなかに、親しみと幸せを感じてみてはいかがでしょうか。

所在地

菖蒲城址 あやめ園(菖蒲町新堀985-2)

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