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第76回 鷲宮神社と徳富蘇峰(とくとみそほう)

更新日:2018年12月3日

 毎年多くの参拝者でにぎわう鷲宮神社には、鳥居脇にある鷲宮神社の社号標(しゃごうひょう)や参道脇にある参拝記念植樹の石標(せきひょう)のほか、明治29年(1896)の明治天皇の行幸(ぎょうこう)を記念して昭和12年(1937)に立てられた「明治天皇御用水(ごようすい)之井」「明治天皇御乗馬繋留処」の石碑などがあります。これらは、すべて明治から昭和初期にかけて活躍した思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰が揮毫(きごう)したものです。蘇峰の揮毫による石碑がこれだけまとまってあるのは、全国的にも大変珍しいことです。
 徳富蘇峰は本名を猪一郎(いいちろう)といい、文久(ぶんきゅう)3年(1863)に現在の熊本県水俣(みなまた)市で生まれ、昭和32年(1957)に94歳で亡くなりました。進歩的な社会評論と藩閥(はんばつ)政治への批判に筆をふるって、全国の読者を魅了しました。また、『近世日本国民史』全百巻を刊行し、生涯の著作は300冊に及んだと言われています。ちなみに、『不如帰(ほととぎす)』の作品で知られる小説家徳冨蘆花(とくとみろか)は、蘇峰の実弟にあたります。
 鷲宮神社と徳富蘇峰の縁は、蘇峰の側近として活躍していた教育記者の相沢煕(ひろし)によるものです。相沢煕は、明治15年(1882)に現在の葛梅で生まれ、昭和35年(1960)に78歳で亡くなります。明治43年(1910)に、蘇峰が設立した国民新聞社に入社しました。戦後は焼け野原になった東京を離れ、一時、親戚が宮司をしていた鷲宮神社に身を寄せます。昭和29年(1954)に現在の本町2丁目に家を新築して、終(つい)の住(す)み処(か)となりました。
 鷲宮神社に残る徳富蘇峰の関係資料等は本市の郷土資料館に寄託(きたく)され、現在も大切に伝えられているとともに、相沢煕ゆかりの資料も本市の公文書館や郷土資料館に寄贈され、大切に保存されています。


明治天皇御乗馬繋留処(おんのりうまつなぎとめのところ)

所在地

鷲宮神社(鷲宮1-6―1)

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