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第9回 寛保治水碑(かんぽうちすいひ)

更新日:2016年1月1日

 久喜市鷲宮地区の鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)境内には、江戸時代に建立された高さ約2.6メートルの灯籠(とうろう)型の石碑が建っています。石碑の4つの側面には、びっしりと漢文体の文章が刻まれています。この石碑が県指定文化財の寛保治水碑です。

 この石碑は、寛保3年(1743)に利根川の改修工事に携わった長門国萩藩(ながとのくにはぎはん)(山口県萩市)の藩主・毛利宗広(もうりむねひろ)が、工事の完工記念に神社に奉納したもので、「刀禰上流以南修治告成碑(とねじょうりゅういなんしゅうじこくせいひ)」と題されています。碑文は、当時江戸で活躍した儒学者服部南郭(はっとりなんかく)が作った文章で、碑文からは、次のような内容を読み取ることができます。

 寛保2年(1742)8月、関東地方は大洪水に見舞われ、利根川をはじめ、各地で河川が氾濫し、甚大な被害をもたらしました。この大洪水に対して、江戸幕府は復旧作業にとりかかり、西日本の諸大名も復旧作業に動員されました。萩藩毛利家もその一員で、幕府は毛利家に対して、久々宇(くぐう)(埼玉県本庄市)から間口(まぐち)(加須市)、粕壁(かすかべ)(春日部市)に至るまでの利根川中流域とその支流、流域地域の用悪水路の復旧・改修工事を命じました。

 毛利家は1707人の家臣や人足を現地へ派遣し、堤防の補修や補強工事、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)作業を行いました。対象地域が広大で、工事は難行しましたが、延べ100万人以上の人足が従事したことにより、翌年には一連の工事を完了することができました。

 また、このとき工事に従事した人足の中には、被災住民も多く含まれていました。毛利家では、洪水によって生業を失い困窮した人々を、人足として雇い、賃銭を与え、生活を支援しました。

 そして工事完工後、これらの事実を後世に末永く伝えるため、寛保治水碑を建立しました。

 以上が碑文の内容を要約したものですが、寛保治水碑は、当時の人々が直面した災害とそこからの復興の記憶を現代の私たちに伝えてくれている貴重な文化財といえます。

写真 寛保治水碑(奥は鷲宮神社本殿)

案内図

久喜市鷲宮1-6-1

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