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第12回 吉田家水塚(よしだけみつか)

更新日:2018年7月25日

水塚(みつか)とは、洪水に備えて自宅敷地内に盛土し、塚を築き、その上に建物を建てた避難施設のことで、市内では江戸から明治時代にかけて多く造られました。水害が多発する地域で、人命や財産を守るために編み出された生活の知恵であり、市内では栗橋地区と菖蒲地区に多く確認できます。中でも利根川をはじめ、権現堂川(ごんげんどうがわ)、中川(なかがわ)などの大河川に囲まれた栗橋地区では、現在約70か所と市内で最も多く確認されています。

久喜市伊坂の栗橋文化会館(イリス)の隣に建つ、久喜市指定有形文化財「吉田家水塚」もその一つです。吉田家水塚は、日光道中栗橋宿(くりはしじゅく)で江戸時代から商家を営んできた吉田家の敷地内にありましたが、平成16年から始まった利根川の堤防強化対策事業に伴い、現在の場所へ移築・復元されたものです。市内の商家の水塚としては唯一現存する貴重な文化財といえます。

吉田家水塚の塚の高さは約2メートルで、盛土の周囲は大谷石(おおやいし)で囲まれています。塚の上には、2階建ての土蔵が2棟あります。江戸時代末期の建築と推定される「大蔵(おおくら)」、その奥に明治37年(1904)建築の「向蔵(むこうぐら)」と並びます。土蔵の中には、吉田家の家具や店先で扱う商品が保管されていましたが、水害の際には、避難所となりました。

近年、家の建て替え等によって水塚は取り壊され、減少する傾向にあります。また、塚上の建物が壊され、塚のみが遺されている状態も多く見かけます。そうした中で、吉田家水塚は、移築・復元という方法で保存されることとなりました。

写真 吉田家水塚(よしだけみつか)
吉田家水塚

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