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第75回 下總皖一(しもうさかんいち)と久喜

更新日:2018年12月3日

 下總皖一は、「たなばたさま」などの童謡や全国各地の校歌など、数多くの作曲を手掛けました。また、東京藝術(げいじゅつ)大学の教授として多くの後進を育てるとともに、音楽評論でも多大な業績を残すなど、日本近代音楽の基礎を作った人物とされています。
 皖一は、明治31年(1898)に現在の加須市砂原に生まれました。本名を覚三(かくぞう)といい、26歳で皖一と改名しています(ここでは皖一と統一して表記)。皖一は、東京音楽学校(のちの東京藝術大学音楽学部)を卒業後、新潟や秋田などの小学校などで音楽を教えていました。34歳の時に、音楽を学ぶためにドイツへ留学し、帰国後には母校である東京音楽学校の教員となりました。
 皖一と久喜との繋がりは、大きく2つあります。1つ目は、栗橋尋常(じんじょう)高等小学校を卒業したことです。皖一は、地元の原道(はらみち)尋常小学校(現加須市立原道小学校)を卒業後、栗橋尋常高等小学校へと通いました。これは当時、皖一の父である吉之丞(きちのじょう)が同校の校長をしていたためです。 皖一が同校に通っていたころ、教員室のベビーオルガンを弾く機会がありました。皖一は、この時ベビーオルガンの音をいつまでも楽しんでいたといいます。そして、この時の感動が、音楽家としての道を歩ませたきっかけの1つであったとされています。
 2つ目は、市内のいくつかの学校の校歌を作曲していることです。皖一の母校であり、現在の栗橋小学校の母体の1つである旧栗橋東第一小学校(下山つとむ〔作詞家・以下同じ〕)をはじめとして、栗橋南小学校(高橋郁(いく))、久喜中学校(宮沢章二)、菖蒲中学校(同前)、久喜高等学校(西角井正慶(にしつのいまさよし))などです。なお、栗橋地区出身で作詞活動を行っていた高橋郁は、皖一の作曲による「小舟を出せば」などの作品で名前を残しています。


栗橋公民館に残る旧栗橋東第一小学校の校歌碑

所在地

栗橋公民館(旧栗橋東第一小学校) (栗橋中央2-7-1)

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