第132回 小林村(おばやしむら)の耕地整理(こうちせいり)
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
本市を上空から見ると、広い範囲で水田の形が長方形に整地され、水路が真っ直ぐになっている場所があるのに気付きます。これらの農地の多くは、本市において大正から昭和初期にかけて実施された耕地整理事業の結果、生まれたものです。
この耕地整理を語る上で重要な本が残っています。現在の久喜市菖蒲町小林地区において、大正4年(1915)3月に設立された小林村耕地整理組合が事業完了を記念して出版した、「耕地整理誌」という本です。当書によれば、明治43年(1910)の大洪水により疲弊困憊(ひへいこんぱい)した村を救うため、耕地整理を決意したとあります。
組合員1180人で設立したものの、事業は苦難の連続でした。県の補助があったとしても、事業には地権者が資金を出す必要があったため反対意見もあり、また、小林地区に接する地区との調整も、水路や堰(せき)の維持といった用排水の利害が複雑に絡み合い難航したと記録されています。
苦労の末、小林村耕地整理事業は大正5年(1916)10月に完了します。総工事費4万6千円、約400ヘクタールの新耕地が誕生しました。新しく用排水路が整備されたことから、かつての湿田(しつでん)(一年を通して地面がぬかるんでいる田)は、乾田(かんでん)(水を入れない時期は地面が乾いている水はけの良い田)に生まれ変わり、稲の生育は安定し、乾いた時期には小麦を作ることも可能となりました。また、水田が不整形地(ふせいけいち)から長方形に変わったことで、効率的に耕作できるようにもなります。結果として、現金収入が増え、折からの大戦景気(たいせんけいき)(第一次世界大戦による好景気)による米価(べいか)上昇もあり、事業を進めるに当たってできた負債を早期に返済できたとあります。一番の変化は、耕地整理の前と後で村内の雰囲気がとても明るくなったことでした。水害の心配や排水等で困るようなことがなくなり、収穫量も増加し、多年の苦境から脱したことは、小林村にとって一番の悲願であり大きな喜びであるとまとめています。
田んぼがずっと続く景色は久喜市の郷土の原風景(げんふうけい)とも言えますが、その背景には先人たちの苦労があったことを思い起こしてみてください。
「耕地整理誌」
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