第162回 鷲宮催馬楽神楽(わしのみやさいばらかぐら)の舞台「神楽殿(かぐらでん)」

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ページ番号1010790  更新日 2025年6月3日

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 国指定重要無形民俗文化財の鷲宮催馬楽神楽が奏演(そうえん)される舞台は、神楽殿と呼ばれています。鷲宮神社の神楽殿は、今から約200年前の文政4年(1821)に建てられました。神楽殿は本殿に向かいあって建てられており、神楽を祭神(さいじん)に御覧いただけるよう配慮がなされているといえます。

 神楽殿は、入母屋造(いりもやづく)り、三方吹き抜けで、鏡板(かがみいた)には日の丸に松が描かれています。間口(まぐち)3間(約5メートル40センチ)、奥行2間半(約4メートル50センチ)を舞台とし、その奥に3尺(約90センチ)の囃子(はやし)座があります。また、向かって左に間口1間半(約2メートル70センチ)、奥行1間(約1メートル80センチ)の橋掛(はしがか)りがあります。

 神楽殿再建の経緯を記した棟札(むなふだ)によると、享保(きょうほう)11年(1726)に再建された神楽殿が年を経て破損が甚だしいので、これを嘆いた八甫村の渡辺七左衛門(わたなべしちざえもん)、下新井村の青木勘左衛門(あおきかんざえもん)・本田元右衛門(ほんだもとえもん)・同由右衛門(よしえもん)らが中心となり、講中(こうじゅう)の助成を受けて修理料を集めたこと。これを受け神主大内国義(おおうちくによし)が文政4年10月に竣工・上棟の神事を行い、同年11月に神楽殿を再建したこと。大工棟梁(とうりょう)は川口村(現加須市)の嶋田善六(しまだぜんろく)・木挽(こびき)棟梁は鷲宮(わしのみや)村の小森忠兵衛(こもりちゅうべえ)・屋根棟梁は鷲宮村の高橋佐七(たかはしさしち)であったことが分かります。

 その後神楽殿は、約100年後の大正13年(1924)に屋根が葺き替えられ、草葺(くさぶき)から亜鉛鉄板(あえんてっぱん)葺になりました。また、約150年後の昭和50年(1975)4月には、屋根を修繕し、コールタールが塗布され、さらに昭和54年(1979)10月には、屋根を葺き替え、亜鉛鉄板葺から銅板葺になりました。しかし文政4年の再建から約200年後の今日、神楽殿は老朽化が著しく、耐震化の対応が急務となったことから、令和7年度と令和8年度の2か年度にかけて耐震補強・保存維持工事を行うことになりました。工事期間中は、鷲宮催馬楽神楽は鷲宮神社に設けた仮設の舞台で奏演されます。神楽が再び神楽殿で舞われるのが今から待ち遠しいですね。

鷲宮神社の神楽殿の写真
神楽殿(文政(ぶんせい)4年再建)

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