第169回 橋の渡(わた)り初(ぞ)め

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ページ番号1012127  更新日 2026年1月30日

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鷲宮地区から久喜地区へと流れる一級河川の青毛堀川には、いくつかの橋が架けられています。

昭和42年10月6日、青毛堀川の稲荷橋(古久喜地内)が架け換えられ、その際に渡り初め式が行われました。この式には、当時の久喜町長榎本善兵衛(えのもとぜんべえ)をはじめ、来賓や関係者など、多くの人が招かれて挙行されました。

また、直近では、平成26年12月18日に行われた出来野橋(できのばし)(野久喜地内)の完成記念式典において、関係者によるテープカットや渡り初め式が行われています。

渡り初め式とは、橋の長寿を願って近隣に住む老夫婦と息子夫婦、孫夫婦の三代の夫婦を招待し、神事ののちに三夫婦がそろって橋を渡るという行事です。その起源にはいくつかの説があり、ここではその中から「橋姫(はしひめ)伝説」を紹介します。

橋姫は古くから橋の守り神として信仰され、平安時代中期に編纂(へんさん)された『古今和歌集』や『源氏物語』にもその名前が登場します。そして、鎌倉時代の『平家物語』や室町時代の『太平記』などには嫉妬深い鬼女(きじょ)として描かれており、のちに『平家物語』を題材とした能の『鉄輪(かなわ)』では、鬼女の能面として「橋姫」が用いられ、橋姫と鬼女のイメージが結びつくことになりました。

この女神を鎮め、橋の安全を祈願する祭事が伊勢神宮や宇治の橋姫神社などで橋の架橋に際して行われ、江戸時代になって世俗化し、風習として広まっていったと考えられます。

また、祭事で独身の老女を「橋姫」と称して参列させたことを起源に、風習が継承されていくうちにその名前が「渡姫(わたりひめ)」から「渡女(わたりめ)」へと徐々に変化していき、参列者として老女の夫が加わるようになってきたと言われています。それが現在の風習まで続いており、三代夫婦が参列し、その中で最年長の女性を「渡女」として丁重に扱う風習が成立したと推測されます。

稲荷橋の架け換えの際や出来野橋の完成記念式典でも、こうした風習が行われ、安全が祈願されました。橋はこれからも地域の交通の要として人々の暮らしを支えていきます。

「稲荷橋(とうかばし)」渡り初め、竣工
稲荷橋(とうかばし) 渡り初め、竣工

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