第171回 日本近代化の歴史を伝える古笊田堰(こざるたぜき)
江戸時代末頃から日本での製造が始まった赤煉瓦(あかれんが)は、明治維新後に西洋化を象徴する建材として広く使用されました。渋沢栄一(しぶさわえいいち)らが明治20年(1887)に榛沢郡上敷免(はんざわぐんじょうしきめん)村(現在の深谷市上敷免)に設立した日本煉瓦製造会社(後の日本煉瓦製造株式会社)は、日本で最初に煉瓦製造を機械化し、その普及に大きな役割を果たしました。同社の煉瓦は、東京駅丸の内駅舎や迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)をはじめ、各地で建築に取り入れられました。
久喜地区と菖蒲地区の境界付近を南東に向けて流れる備前堀川(びぜんほりがわ)の中流部には、日本煉瓦製造株式会社の煉瓦で造られた古笊田堰があります。古笊田堰は備前堀川から農業用水を取り込むために設置されたもので、古笊田堰枠普通水利組合が明治41年(1908)12月から翌3月にかけて改良工事を実施し、煉瓦製に造り替えました。
この頃の埼玉県では堰や樋管(ひかん)などを煉瓦で建設する工事が数多く実施され、明治20年からの約35年間で200か所近く確認されています。県内には利根川や荒川、見沼代用水などの河川、用水路が数多くあることから、耐水性に優れた煉瓦が重宝されたと考えられます。古笊田堰においても事前に煉瓦の吸水率を確認する品質検査が行われるなど、水にさらされる堰が将来的に維持できるよう注意を払う様子が窺えます。なお、県は明治15年(1882)から町村土木補助費を設けて県内各地の河川設備の維持管理を積極的に支援しており、古笊田堰の総工事費約7,000円のうちおよそ半分が県費で賄われています。
現在ではこうした煉瓦造りの施設の大半が改修工事などにより姿を消していますが、古笊田堰は当時の姿を残しながら現在もその役割を果たし続けています。
このページに関するお問い合わせ
教育部 文化振興課 文化財・歴史資料係
〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
電話:0480-58-1111 ファクス:0480-31-9550
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。








