五十嵐八五郎(いがらしはちごろう)

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ページ番号1010487  更新日 2025年4月24日

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 生没年:安政 1.5.20-昭和2.11.4 (1854-1927)
 農事改良家。 埼玉郡三箇(さんが)村 (現久喜市菖蒲町三箇) 生まれ。 榛沢郡武川村 (現深谷市)五十嵐家の養子。 大島村 (現群馬県前橋市)の梨栽培に関心を持ち、 さらに千葉県などで学び、 明治17年(1884) 帰郷する。 梨栽培は水害にあっても被害が少なく、 稲作と労力が競合しないうえ、不況の時にも比較的現金収入があったことから、 有益な作物として地元の三箇、栢間 (現久喜市菖蒲町栢間)、 江面(現久喜市江面) 地方で普及し、埼玉梨の元祖といわれている。 享年77歳。

典拠:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編、埼玉県、1998年)

参考

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