深沢七郎(ふかざわしちろう)

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ページ番号1010450  更新日 2025年4月24日

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 生没年:大正3.1.29 一昭和62.8.18 (1914-1987)
 小説家・ギタリスト。 山梨県石和(いさわ)町(現笛吹市)生まれ。 地元の旧制中学時代からギターに凝り、中卒で東京に出るも職業は転々としたがギター勉強は続け、昭和14年(1939)には東京丸の内の明治生命ホールでメンデルスゾーン等のクラシック中心のギターリサイタルを催す。 戦後はジミー川上の芸名で旅芸人の一座に参加し、その後は桃原青二の名で日劇ミュージックホールの専属になった。
 しかし、 ギター音楽の傍ら文学にも興味を持ち、 中学時代を回想した随筆によるとデュマの 『椿姫』、 プレヴォーの 『マノン・レスコー』、トルストイの 『復活』 など涙を流して読んだらしい。 日劇文芸部に丸尾長顕(まるおちょうけん)がいて深沢に小説作法を教え、それが『楢山節考(ならやまぶしこう)』 (昭和31年) に結実した。 この小説で一躍有名になるが、 安保闘争の頃書いた『風流夢譚(ふうりゅうむたん)』で筆禍事件を起こし、右翼から逃れるため全国を放浪し、ほとぼりの冷めた昭和40年から菖蒲町(現久喜市菖蒲町上大崎)に土地を取得し、「ラブミー農場」を開設し、定住した。
 この辺りから書くものに埼玉の風物が登場することになる。『人間滅亡的人生案内』等のエッセイ、 『無妙記』、『盆栽老人とその周辺』、『みちのくの人形たち』、『極楽まくらおとし図』等の小説に菖蒲町界隈が頻出する。 特に「楢山節考』と並んで名作の評価の高い『みちのくの人形たち』 (昭和54年)は埼玉の工事現場に出稼ぎに来た人が、 主人公を不思議な風習のある東北の村に案内するところから小説が始まり、現代埼玉の雰囲気がよく出ている。
 享年73歳。

典拠:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編、埼玉県、1998年)

参考

「久喜市合併五周年記念 深沢七郎生誕一〇〇年記念展~ラブミー農場と深沢七郎~」(久喜市立菖蒲図書館、2015年)

このページに関するお問い合わせ

教育部 文化振興課 文化財・歴史資料係
〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
電話:0480-58-1111 ファクス:0480-31-9550
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