黙山元轟(もくざんげんごう)
生没年:天和3.10.29 - 宝暦13.11.5 (1683-1763)
江戸時代中期の曹洞宗僧侶。 出羽国増田村 (現秋田県横手市) 生まれ。 熊谷氏の子。 秋田満福寺の孤室林峰のもとで出家し、 下総五霞(現茨城県猿島郡五霞町)の東昌寺(とうしょうじ)の隠之道顕(いんしどうけん)に師事し、 法嗣となる。 越前(現福井県)永平寺で修学。
享保20年(1735) 西大輪村 (現久喜市西大輪) の白石兵左衛門らが同村の真言宗加性院を再興した際、 請われて開山となり、 曹洞宗に改宗、寺号を迦葉院(かしょういん)と改め、 修業道場として発展に尽力した。
下総総寧寺(そうねいじ)との間で本末関係をめぐり争い、敗訴するが裁許に従わず、一時僧籍を剥奪され迦葉院を退去する。後、許され、宝暦5年(1755) 帰住した。
著書に『鉗鎚集』『黙山和尚語録』。
典拠:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編、埼玉県、1998年)
参考
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