田口清平(たぐちせいべい)
生没年:天保3-明治34(1832-1901)
清平は東大輪村の田口家の長男として天保3年に生まれた。田口家は代々東大輪村の名主を勤めた家柄で、清平も幕末期に名主を勤めた。明治になり区・戸長制が布(し)かれると、清平は幸手(さって)宿を中心とした第七区の戸長、副区長として行政事務に携(たずさ)わった。 特に治水・利水に詳しかったことから、清平は幸手領の触継役(ふれつぎやく) (明治3年) や水利掛(すいりがかり) (明治8年) に任命されている。明治8年の行幸堤(みゆきづつみ)新規築き立てなどめざましい活躍をした。明治12年3月に郡制が施行されると、北・中葛飾郡役所の書記に命じられ、13年からは得意とする土木掛(どぼくがかり)に転じた。明治17年7月まで足かけ6年にわたり郡役所に勤めた。その後宮内省から江戸川筋御猟場監守人(えどがわすじごりょうばかんしゅにん)や主猟局監守(しゅりょうきょくかんしゅ)を命じられ、明治34年に70歳で永眠した。
参考
「第5回企画展 鷲宮ゆかりの人々2」展示図録(鷲宮町郷土資料館、2000年)
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