菊池菊城(きくちきくじょう)
生没年:天明5-文久4 (1785-1864)
江戸時代の遊歴の儒者、寺子屋師匠。埼玉郡台村(現久喜市菖蒲町台) 生まれ。江戸の折衷(せっちゅう)学派の山本北山(ほくざん)に学び、後、諸国を遊歴し、好んで寒村僻地(かんそんへきち)で農民やその子弟を教授する。天保末期から弘化2年(1845)頃まで、榛沢郡血洗島(ちあらいじま)村 (現深谷市) 渋沢宗助宅で本材精舎(ほんざいしょうじゃ)を開設したが、閉塾後もこの地を訪れて講義しており、渋沢栄ーも14、5歳の頃菊城の教えを受けたという。
既に嘉永4年 (1851) 多摩郡小野路(おのじ)村 (現東京都町田市)の小島家に招聘され子弟の教授に当たっていた。晩年は相州愛甲郡田代村 (現神奈川県愛川町) を中心に活躍し、中津川渓谷の奥地の村々でも講義をした。半原(はんばら)村(同町) 染谷家は、菊城が最後の講義をした家といわれる。墓所は同町勝楽寺(しょうらくじ)。
典拠:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編、埼玉県、1998年)
参考
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