宮内翁助(みやうちおうすけ)

ラインでシェア
Xでポスト
フェイスブックでシェア

ページ番号1010437  更新日 2025年4月24日

印刷大きな文字で印刷

宮内翁助(みやうちおうすけ)

 生没年:嘉永6.2.4-大正1.12.6(1853-1912)
 衆議院議員・実業家。江面村 (現久喜市江面)生まれ。烈之助、きよの長男。茅野金陵・中島撫山について漢学を学び、明治18年(1885)神田秀親から田宮流剣道の免許を皆伝された。戸長、副区長を経て、15年から32年まで3回県会議員に選出されたが、26年県会解散を機に一時議員を辞職、私費を投じて江面村に私立専門学校 「明倫館」を創設、中等教育の充実に力を注いだ。
 同館は昭和10年(1935) 中等教育機関が整備されるとともに、その使命を終え閉館したが、昭和初期には生徒数は200人を数えたという。 明治34年学校経営の傍ら、衆議院選挙に立候補し、当選、政友会の重鎮として3期務めたほか実業界でも久喜銀行専務取締役、埼玉織布会社取締役等の要職を兼務した。
 享年60歳。

典拠:『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編、埼玉県、1998年)

参考

このページに関するお問い合わせ

教育部 文化振興課 文化財・歴史資料係
〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
電話:0480-58-1111 ファクス:0480-31-9550
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。