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第44回 鎌倉時代の東国彫刻の趣を示す木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)

更新日:2018年7月25日

鷲宮地区上内の寿徳寺(じゅとくじ)には鎌倉時代の作といわれる木造の薬師如来像が伝えられています。薬師如来は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)ともいい、須弥山(しゅみせん)の東方浄瑠璃(じょうるり)世界に住み、12の大願(たいがん)をたて衆生(しゅじょう)の病苦・無明(むみょう)の救済にあたる仏です。日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)を脇侍(わきじ)として三尊(さんぞん)をなし、普通、左手に薬壺(やっこ)を持っています。

この薬師如来像は、一木造(いちぼくづく)りで、像高は52・6cm。地方仏師の手によるいかにも鎌倉時代の東国彫刻らしい質実な趣を示していると評されています。

本像には彫眼(ちょうがん)という彫り出して目を表す技法が使われています。下地には漆(うるし)を塗った上に金箔(きんぱく)が施され、また、螺髪(らほつ)(知恵と徳の高さを表すもの)を彫り出し、眉間(みけん)の中央には水晶が挿入されています。右手には仏が衆生に種々の畏怖の心を取り除き、安心させ、救済することを意味する施無畏印(せむいいん)を結び、左手には薬壺を持っています。そして、右肩を露(あらわ)にして法衣(ほうえ)をまとい、結迦趺坐(けっかふざ)しています。

寿徳寺は真言宗豊山派(ぶざんは)、奈良長谷寺の末寺で、上内山地蔵院寿徳寺と号し、かつては七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた大刹(たいせつ)であったと伝えられています。

本像の伝来は明らかではありませんが、像内に元禄11年(1698)上内村自性院(じしょういん)の住僧法印淳目(じゅうそうほういんじゅんもく)が薬師如来を修理したとの記録が残されていることから、本来は自性院の持仏(じぶつ)であったと推定されています。自性院は明治39年(1906)に寿徳寺に統合されました。

平成14年(2002)に修復され、現在は薬師堂に、新たに作られた日光・月光の両菩薩を脇侍として安置されています。

写真 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)
木造薬師如来坐像

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