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第88回 房川(ぼうせん)の渡しと船橋(ふなばし)

更新日:2019年5月31日

 日光道中唯一の関所である栗橋関所は、正式名称を「房川渡中田関所(ぼうせんわたしなかだせきしょ)」といいます。これは、江戸時代の利根川には橋が架けられておらず、渡船(わたしぶね)で栗橋宿と対岸の中田(なかだ)宿とを往復した渡船場(とせんば)が「房川の渡し」と呼ばれていたことによります。房川の渡しでは江戸幕府の御用船(ごようせん)としても使用された通常の渡船のほかに、一般の旅人や荷物を運ぶ茶船(ちゃぶね)、馬を運ぶ馬船(うまぶね)が運航しました。
 このように江戸時代は船で利根川を往来していましたが、一定の期間だけ臨時に橋が架けられたこともありました。徳川将軍家の日光社参のときに架けられた「船橋」です。日光社参は江戸時代を通じて19回実施され、特に最後に実施された天保(てんぽう)14年(1843)の社参については詳細な記録が残っています。それによると、高瀬舟(たかせぶね)と呼ばれる大型の船50隻以上を連結し、その上に竹や木材を敷き並べて橋を架けたことがわかります。また、川の流れで橋が流されないように、大量の碇(いかり)や石詰めの俵を沈め、上流から太さ11センチメートルもの虎綱(とらづな)で支えることで橋全体を固定しました。
 船橋架橋は3か年を要したといわれるほどの大工事でしたが、社参が終わり、将軍が江戸に戻ると直ぐに船橋は撤去されました。撤去の際に虎綱は切り分けられて架橋に関わった人たちに配られたと伝えられています。現在栗橋文化会館イリスの敷地内にある吉田家水塚(よしだけみつか)や郷土資料館では、そのときの虎綱の一部を展示しています。


船橋を渡る日光社参の行列を描いた浮世絵

所在地

房川の渡し跡

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