更新日:2024年5月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
令和5年2月27日
久喜市下清久字鶴ノ谷395-11
個人
本多流洗心洞(高木道場)(注釈1)は、現役の弓道場です。清久村大字下清久(現在の久喜市下清久)に生まれ、東京大学弓術部師範を務め、後に同村村長を務めた医師、高木たすく(※注釈2)によって昭和8年(1933)に自宅敷地内に開設されました。
敷地内には「弓道場」と、射手(いて)の手先から15間(27.27m)離れた場所にある「的場(まとば)」があります。
弓道場は木造平屋切妻(きりつま)造、金属板葺(きんぞくいたぶき)で、建築面積は49平方メートルです。天井の高い板敷の射場(しゃじょう)を中心に、西側に床(とこ)の間(ま)の付いた畳敷の上座(かみざ)、東に弓置き場、北側に畳敷の控え、東北に切妻造の玄関があります。
また、窓には矢羽根(やばね)をモチーフとした桟(さん)があり、床の間の天井の竿縁(さおぶち)は弓状に曲がっているなど、弓道場ならではの意匠(いしょう)があります。
的場と合わせ、近代和風建築の典型として、造形の規範となっていることや、弓道場として現在も使用していることなどが評価されました。
※注釈
1.「高木道場」の「高」の字は、正しくは「はしご高」です。
2.「高木たすく」の「高」の字は、正しくは「はしご高」です。
「たすく」は、「非」の下に「木」の字です。
弓道場正面(南南西より望む)
弓道場射場(西より望む)
令和5年2月27日
久喜市下清久字鶴ノ谷395-13
木造平屋切妻造、金属板葺で、建築面積は14平方メートルです。弓道場側が開かれており、残る三方は板壁となっています。内部に、的をかけるために土や砂を盛り固めた安土(あづち)が設けられています。
弓道場と合わせ、近代和風建築の典型として、造形の規範となっていることや、弓道場として現在も使用していることなどが評価されました。
的場正面(北北東より望む)
安土及び小屋組み(北西より望む)
登録プレート
『広報くき』連載「久喜歴史だより」
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