更新日:2024年4月1日
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令和4年11月、久喜市下清久(しもきよく)にある「本多流洗心洞(高木道場)弓道場」(注釈1)と「本多流洗心洞(高木道場)的場(まとば)」が、国の登録有形文化財(建造物)として登録されることになりました(※注釈2)。本多流洗心洞(高木道場)は、弓道の流派の一つである本多流の稽古場として昭和8年(1933)に開かれた道場で、当時の近代和風建築の形をほぼ残しつつ、現在も同じ目的で使われていることが、国の文化審議会から評価されました。
本多流洗心洞(高木道場)は、敷地の南方向に矢を射る弓道場と、射手(いて)の手先から15間(けん)(約27メートル)離れたところにある的場の二棟で構成されています。どちらの建物も、本を半分に開いて伏せた形の切妻(きりつま)屋根など、日本の伝統的な木造建築の様式になっています。また、弓道場には畳敷きで床(とこ)の間(ま)のある上座(かみざ)などもあります。さらに、窓のガラスを支える桟(さん)が矢羽根(やばね)を模しているほか、床の間の天井板を支える棹縁(さおぶち)に弓のように曲がった部材を用いるなど、弓道場を意識した意匠(いしょう)が施されています。
本多流洗心洞(高木道場)を建てた高木たすく(※注釈3)は、本多流の弓道家として活躍した人物です。本多流とは、徳川幕府の旗本(はたもと)であった本多利實(ほんだとしざね)に始まる流派で、たすく(※注釈3)は、利實最後の愛弟子といわれています。利實の没後に代々の本多流宗家(そうけ)を補佐したほか、日本弓道連盟(現全日本弓道連盟)副会長や日本学生弓道連盟会長、東京大学弓術部師範(きゅうじゅつぶしはん)などの役職に就くなど、戦後の混乱した時代のなかで流派を超えた現代に続く弓道界の発展に力を尽くした人物でもあります。
本多流洗心洞(高木道場)には、本多家宗家をはじめとする、多くの著名な弓道家が訪れました。また、埼玉県立久喜高等学校や埼玉県県立春日部高等学校の生徒が定期的に通ってくるなど、地域の若者にも大きな影響を与えました。
たすく(※注釈3)の弓道に対する真摯(しんし)な思いから建てられた本多流洗心洞(高木道場)は、約90年経った今でも、後進の人々が本多流の技術や精神を受け継ぐ場となっています。
※注釈
1.「高木道場」の「高」の字は、正しくは「はしご高」です。
2.令和5年2月27日付け文部科学省告示第6号により、正式に登録有形文化財となりました。
3.「高木たすく」の「高」の字は、正しくは「はしご高」です。
「たすく」は、「非」の下に「木」の字です。
洗心洞利用風景
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