博士の業績
更新日:2015年10月14日
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博士の業績の概要
博士は、「四分の一天引き預金」を自ら考えだし、実践し、無駄を省いた倹約貯蓄により、多額な財産を築いた資産家としても高名です。しかし、博士は大学教授を定年で退職した後、これらの財産のほとんどを公共の事業に寄付し、自らは簡素な生活を続けつつ、社会発展のため、昼耕夜学して公職に尽力されました。
博士は、明治から昭和にかけて日本の林学、造林学・造園学の基礎を築いた人で、日本最初の林学博士となった人として広く知られています。
また、博士は、専門の林学を通じ、日本全国はもとより、19回にも及ぶ海外渡航により世界各地の研究視察を重ね、その貴重な情報を基に、日本経済の発展にも大きく貢献しました。博士は林学界はもとより、多方面に亘り活躍された方で、その交友範囲は本県出身の実業家渋沢栄一をはじめ政治家大隈重信、後藤新平、医学者北里柴三郎、農学者新渡戸稲造ら当時の各界の著名人に及んでいます。
博士は、明治25年に東京農科大学(現在の東京大学農学部)に奉職して以来、昭和2年に退職するまでの間はもとより、退職後も当時の東京府、内務、文部、鉄道、陸軍など各方面の委員、嘱託、顧問として林学の普及に尽力し、日比谷公園、明治神宮神苑、大宮公園、羊山公園をはじめ、鉄道防雪林や、国立公園、全国各地の公園、風景地、水源林などの設計改良に当たるなど、今日の日本社会の発展に大きく貢献しました。
現在、埼玉県で実施している「本多静六博士育英事業」は、博士が少年期における自らの苦学の経験を基に、昭和5年に、所有していた秩父市(旧大滝村)中津川の山林(約2,600ヘクタール)を奨学金制度の実施などを希望条件として、県に寄付したことに始まるものです。
秩父市(旧大滝村)中津川の山林
これら博士の広範多岐にわたる功績は、376冊にも及ぶ著書からも証明されるものです。これらの著書の多くは、現在でも貴重な文献として広く利用に供されています。特に教養書の多くを占める博士の人生論、幸福論、そして成功への体験論は、今でも多くの読者を持ち深い感銘を与えています。
博士と日比谷公園
明治以降、著しい近代化を遂げる日本社会に向けて、公園の必要性を力説し、自ら全国各地の公園の設計にあたった本多静六。国立公園の創設にも尽力した本多静六は、まさに「日本の公園の父」と呼ぶにふさわしい人物です。
本多静六が公園設計に携わったその足跡は、日本全国北は北海道から南は鹿児島県まで及びます。その数は、自ら「大小合わせて数百に及ぶ」と著書に著しています。中でも、東京の日比谷公園と福岡の大濠公園は、その知名度から東西を代表する公園ともいえます。
東京都立日比谷公園は、幕末までは大名等の屋敷地でしたが、明治に入り兵部省の所管(国有地)となり、暫くの間日比谷錬兵場として使用されていました。その後付近の市街化に伴い、明治22年(1889年)錬兵場は公園として整備されることが決まりました。
国家的なプロジェクトとなった日比谷公園の設計には、当時、建築学会の草分け的存在であった帝国大学工科大学長の辰野金吾博士(日銀本店、東京駅の設計者)が当たりましたが、結果的には採用されませんでした。人々が望んでいたのは近代日本国家に相応しい洋風公園だったからです。しかし当時の日本にはその専門家がいませんでした。
そこに白羽の矢が立ったのが本多静六です。本多静六は欧米で買い求めた公園設計書を参考に、日比谷公園の設計図面を書き上げました。日本初の洋風公園はこれまでの日本人の常識を覆すもので、市議会からも様々な非難があがりました。「なぜ門扉を設けないのか」「池に身投げをされたらどうする」「草花を盗まれるぞ」など、今では想像もできない非難、質問が多く寄せられたのです。最終的に本多静六の設計案は市議会で採択され、明治34年(1901年)着工、同36年(1903年)6月1日に開園式を迎えました。
日比谷公園の築造に当たっては、様々な逸話が残されています。松本楼のそばにある「首かけイチョウ」は特に有名ですが、限られた予算を補うため大学から不要な苗木をただ同様で払い下げてもらったという思い出話も残されています。現在、本多静六が植えた小さな苗木は、高さ20メートル、幹周り4メートルもの大木に成長し、ビルディングに囲まれた大都会の中で、喧騒を忘れさせる憩いの場を提供してくれています。 日比谷公園のパンフレットには、「文化の先駆者としての公園設計者の意気込みが随所に感じられます。文明開化の時代のいぶきが90余年後の今日に伝わってくるようです。花壇には1年中、色鮮やかに季節の花が咲き、公園を訪れる人々の憩いの場になっています」と記されています。
日比谷公園
松本楼のそばにある「首かけイチョウ」
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