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催馬楽神楽の歴史と特徴

更新日:2016年2月18日

歴史

『吾妻鏡』の中の神楽

鎌倉時代の建長3年(1251)に鷲宮神社で神楽が行われていたことが、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』の記事から確認できます。ただし、この時に行われた神楽が今日の催馬楽神楽と同じ形態の神楽であるかどうかは分かっていません。

催馬楽神楽の成立

戦国時代になると、武将も兼ねていた鷲宮神社の神主は軍務に忙しくなり、神楽は徐々に衰退してしまいました。しかし、江戸時代になって天下泰平の世が訪れると、神社の神主は武将をやめて神主に専念するようになります。
鷲宮神社の大宮司であった大内國久は廃れてしまった神楽を再興しようと試み、享保11年(1726年)までに12座の神楽に再編をしました。この時に再編された神楽が、現在も行われている催馬楽神楽です。
江戸時代には、神楽を代々世襲で行う「神楽役」がおり、領主でもあった大内氏の家臣として、田畑を与えられていました。

土師一流催馬楽神楽歌
大内國久による土師一流催馬楽神楽歌

世襲から保存会へ

明治時代以降も世襲によって神楽が行われてきましたが、昭和20年代には神楽師が減り、最後には白石国蔵氏唯一人となってしまいました。神楽は消滅の危機を迎えましたが、昭和30年に神楽の笛の音がラジオで全国放送されると、これを機会に町内の心ある若者が集まり、「神楽復興会」が組織され、白石氏の指導により神楽が伝えられました。現在は「鷲宮催馬楽神楽保存会」と名称を変え、伝統ある神楽を継承しています。


白石国蔵氏

特徴

舞の種類

 催馬楽神楽は舞踏的な要素が強く、演劇的な要素がほとんどありません。多くの神楽は、時代とともに舞踏的な神楽から演劇的な要素が強い神楽へと変化しましたが、鷲宮催馬楽神楽は古来からの舞踏形式を守り通しています。
 多くの演目で面をつけ、採物と呼ばれる小道具を持って舞います。これらは出雲流神楽の特徴とされており、催馬楽神楽は出雲流に分類されています。
 一曲一座形式の神楽で、一人舞の演目は少なく、2人以上で舞う連舞が多くなっています。舞人は、舞台の中心から常に対称の位置で舞うことが多く、シンメトリー(対称性)が美しい神楽とされています。
 舞の型には、四方固めや三度(3歩ずつ歩く)などといった宗教色の濃い動作が含まれており、古い祭りの儀式や作法を偲ばせます。

催馬楽

 神楽の名前にも取り入れられているとおり、催馬楽神楽では演目の中で催馬楽や神楽歌を歌います。催馬楽とは、平安時代に流行した歌謡とされています。

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