更新日:2018年7月25日
史跡
大正14年3月31日
久喜市本町7丁目2番18号
甘棠院
館の指定範囲は、東西140メートル・南北250メートルに及び、北・西・南の三方に空堀が残ります。古河公方第2代の政氏は、子息の高基との対立に敗れて永正16(1519)年に久喜へ移り住み、館を寺院として永安山甘棠院と命名し、子(一説には弟)の貞巖昌永を開山としました。政氏の墓は五輪塔で甘棠院境内にあり、「享禄四(1531)年七月十八日甘棠院殿吉山長公大禅定門」と刻まれています。
足利政氏墓
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