市指定 一里塚
更新日:2018年7月25日
一里塚(いちりづか)
種別
史跡
指定年月日
平成4年7月30日
所在地
久喜市小右衛門516
所有者(管理者)
真光寺
概要
慶長9年(1604)、徳川幕府は、大久保石見守に命じて東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道をはじめとして、主要街道に一里塚を築かせました。
江戸の日本橋を基点として、一里(約4キロメートル)毎に塚を築き、その上に榎を植えて道のりを表し、伝馬制度に大きな役割を果たしたほか、旅人の休憩所にも利用されました。付近には茶店などもあり、また、駄賃などの目安にもなり大いに賑わったと思われます。今でいえば、鉄道の駅のような存在でした。
この塚は、幸手宿と栗橋宿の中間の小右衛門村(現久喜市小右衛門)にあり、幸手宿内の一里塚の次に当たります。
現在、塚の上には、字堤外(現・権現堂川)から移築されたという弁財天堂が建てられており、塚の高さは西側から約2メートル、5間(約9メートル)四方の遺構は、塚の形態と当初の広さを残し、当時の姿を偲ぶことができます。
一里塚
『広報くき』連載「久喜歴史だより」
案内図
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