第113回 鷲宮神社のそばには「お城」があった?~鷲宮神社の中世文書から読み解く~

更新日:2024年4月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 鷲宮神社の歴史は古く、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」にもその記述が見られます。近年ではアニメ「らき☆すた」の舞台のモデルとされ、アニメの「聖地」と呼ばれるようになりました。実はその鷲宮神社のそばに、戦国時代、城が存在したことをご存じでしょうか。
 鷲宮神社は天正12年(1584)頃に、関東を支配していた後北条(ごほうじょう)氏から、神社内の樹木伐採を禁じる書状(北条氏印判状)を受け取ります。その宛先は「神主」と「鷲宮在城衆」となっており、鷲宮に城が存在したことがわかります。また、天正13年(1585)に後北条氏から神主大内泰秀(おおうちやすひで)へあてた書状では、鷲宮に集められた兵糧(ひょうろう)や武器などを後北条氏の陣中に運ぶように命じられています。このことから、鷲宮の城が北関東への軍事的な補給基地であり、神主も軍事的役割を担っていたことが分かります。また、先ほどの神社内の樹木伐採を禁じた書状も、樹木を保護し、聖域を維持するための宗教的意図ではなく、戦に必要な資材の確保という軍事的意図が込められていたことが推察されます。鷲宮の城は鷲宮神社に隣接しており、「鷲宮城」や、字(あざ)名をとって「粟原(あわばら)城」などと呼ばれ、後北条氏の滅亡まで存続していたと考えられています。
 なお、教育委員会では令和3年3月に『鷲宮神社(久喜市の歴史と文化財(2))』を刊行しました。鷲宮神社の歴史について詳しくお知りになりたい方は、ぜひ手にとってご覧ください。


北条氏印判状 天正(てんしょう)12年頃

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