第55回 俳諧(はいかい)・俳句に詠まれた栗橋

更新日:2016年6月29日

 江戸初期に誕生した「栗橋宿(くりはしじゅく)」は、主要街道である日光道中(どうちゅう)や栗橋関所の整備などによって、その後、多くの著名人がこの地を訪れました。
 今回は、「栗橋」を詠(よ)んだ著名人たちの俳諧や俳句に焦点を当ててご紹介します。
「幸手を行ば 栗橋の関」
 この句は、松尾芭蕉(まつおばしょう)が、奥の細道の旅から4年後にあたる、元禄(げんろく)6年(1693)の句会(くかい)で詠んだものです。
 旅に同行した弟子の河合曾良(かわいそら)が残した「曾良旅日記」の元禄2年(1689)3月28日の記事では、「この日栗橋の関所通る。手形も断りも入らず」と、関所を普通に通れてしまったことに対して、少し驚きをもって記録しています。
「栗橋を 舟のわたりや 五月雨(さつきあめ)」
 この句は、芭蕉晩年の門人中川乙由(なかがわおつゆう)に師事した鴻巣市出身の横田柳几(よこたりゅうき)の弟子で、桶川市出身の島村嵐二(しまむららんじ)が詠んだものです。明和(めいわ)9年(1772)の柳几の紀行文「古河わたり集」の中に収められています。
 柳几らは、鴻巣から境(現在の茨城県境町)までを7日間かけて往復しました。この句は、帰りの中田(現在の茨城県古河市)から栗橋に入る際に、盆を覆すような雨に遭ったときの、「栗橋」の夏の情景を詠んでいます。
「秋の桑 川波ひろく 利根をながる」
 この句は、高浜虚子(たかはまきょし)の弟子にあたる水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の昭和14年(1939)の句集『蘆刈(あしかり)』の中に収められている、「栗橋」の秋の情景を詠んだものです。ほかの栗橋の句にも、「秋の桑」がよく用いられています。
「利根晴れて 寒鯉釣(かんごいつり)の 舟一つ」
 この句は、秋桜子と同じく、虚子の弟子にあたる加須市出身の岡安迷子(おかやすめいし)が、昭和28年(1953)正月の初句会で詠んだ「栗橋」の冬の情景です。
 このほかにも、著名人が「栗橋」を俳諧や俳句に残しているかもしれません。ぜひ皆さんも探してみてください。


一   廿八日マヽタニ泊ルカスカヘ
    ヨリ九里前夜ヨリ雨
    降ル辰上剋止ニ依テ
    宿出間モナク降ル午ノ下
    剋止此日栗橋ノ関所
    通ル手形モ断モ不入

『曾良旅日記』(天理図書館蔵)より

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