第85回 明治天皇の行幸(ぎょうこう)と久喜

更新日:2019年5月31日

 去年(平成30年)は、明治元年(1868)から150年にあたることから、それを記念するさまざまな取り組みが全国各地で行われました。
 明治天皇は嘉永(かえい)5年(1852)に生誕し、父親である孝明(こうめい)天皇の崩御(ほうぎょ)によって慶応3年(1867)に皇位を継ぎ、激動の時代を経て明治45年(1912)に崩御しました。
 明治天皇は各地を行幸しており、明治5年(1872)から18年(1885)にかけて、全国各地を行幸した「六大巡幸」が知られています。そのなかで、栗橋は東北地方へ通じる街道が通ることから、明治9年(1876)の東北・北海道巡幸の際には、6月4日に栗橋の旧本陣・池田鴨平(かもへい)宅で御小休(おこやすみ)をしています。利根川渡船の際には鯉漁を天覧(てんらん)し、採れた鯉は天皇が買い上げました。明治14年(1881)の山形・秋田・北海道巡幸の際にも、8月1日に池田宅で御小休をしました。
 六大巡幸とは別に、明治19年(1886)7月9日に行われた日本鉄道会社第二区線(現JR宇都宮線)の利根川鉄橋の開通式にも明治天皇が行幸しました。栗橋から対岸へは徒歩で鉄橋を渡り、帰りは船で戻りました。その後、漁や水泳大会、栗橋の八坂神社の神輿が利根川に担ぎこまれる様子などを天覧しました。この時の行幸の記念碑が加須市旗井に残されています。
 また、明治29年(1896)には鷲宮で近衛師団(このえしだん)の演習が行われ、演習を天覧し、講評を聞いた後に鷲宮神社で御小休をしています。演習天覧・講評場所にはそれぞれ記念碑が立てられているほか、鷲宮神社境内には明治天皇の馬を繋ぎ止めた場所や御小休をした場所などに記念碑が残されています。
 明治天皇の行幸した場所には記念碑が残されていることが多く、当時の様子を知ることができるようになっています。


鷲宮に残された演習関係の碑

所在地

久喜市鷲宮

加須市川口

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