第103回 観音堂(藤原堂及び念仏堂)の歴史

更新日:2024年4月1日

問い合わせ:文化振興課文化財・歴史資料係

 久喜駅西口の提燈祭り通りと市役所通りとの交差点近くにお堂があり、地元では観音堂と言っています。
 このお堂の近くには銅製の地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)があり、この像の後ろに、明治32年(1899)の「藤原堂由来記」と、平成6年(1994)の「記念碑」が、並べて建てられています。これらの石碑を参考にして、この場所の歴史について紹介します。
 今から三百年以上も前の元禄元年(1688)、近所に住んでいた藤原某の娘は子どもの頃から病弱で、年頃になると亡くなってしまいました。両親は、たまたまこの地を訪れていた江戸増上寺の高名なお坊さんにお願いをしてお堂を創建し、正観世音菩薩像を寄進し、娘の冥福と人々の利益を祈りました。このお堂は、藤原堂と言い、当時評判を呼び、多くの人がやってきました。そこで、元禄3年(1690)には別のお堂が建てられ、両親はさらに阿弥陀如来像を寄進し、翌年には父親が仏門に入りました。このお堂を念仏堂と言い、江戸時代の絵図にも描かれています。
 安政3年(1856)に風災害が起こり、すでに老朽化していた藤原堂及び念仏堂は建物が完全に壊れ、元に戻すこともできないまま、明治維新を迎えると、ついに廃寺になってしまいました。
 明治20年代に、この現状を嘆いたお坊さんが再興計画を立て、信徒とともに寄附金等を集め、5年の月日を費やして一堂を建立します。平成6年(1994)には、老朽化したこのお堂を改修しますが、このお堂が現在観音堂と地元で言っているお堂で、今もこのお堂には正観世音菩薩像が安置されています。


観音堂及び銅製地蔵菩薩坐像

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