更新日:2024年11月11日
史跡
昭和53年3月29日
久喜市栗橋中央1丁目2番
静御前遺跡保存会
源義経の内妻であった静御前の墓と伝えられています。
静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年(1189)9月15日に当地で亡くなったと言われています。当地には高柳寺と呼ばれる寺があったので、静御前は寺の境内に埋葬され、墓上には杉の木が植えられました。
高柳寺はその後、中田(現在の茨城県古河市)に移転し、光了寺と名を改めています。
当地には静御前の墓が残されましたが、墓に墓標がなかったため享和3年(1803)に勘定奉行・関東郡代であった中川飛騨守忠英により建立されました。墓上の杉の木は弘化3年(1846)の洪水により枯れてしまい、その後銀杏が植えられています。
静御前の命日と伝えられる9月15日には、静御前遺跡保存会によって毎年墓前祭が営まれています。
静御前の墓
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