第150回 清久村高木家が出版した文芸誌『田園』と石川啄木(いしかわたくぼく)

更新日:2024年5月1日

問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係

 歌人石川啄木(1886~1912)の随筆「田園の思慕(しぼ)」が掲載されている希少な文芸誌『田園』第1号が、清久村長、郡会議員、県会議員等の要職を務め、同誌の出版者ともなった高木亮助(たかぎりょうすけ(※注釈1))(1868~1912)の旧宅から最近発見されました。
 亮助は、笑雷(しょうらい)の号のある歌人としての顔もあり、清久村近隣の文芸愛好家が和歌や俳句、小説等の作品を発表できる場として、明治43年(1910)11月25日に、一冊10銭で同誌を刊行しました。その第1号巻頭に、啄木の原稿が掲載されました。ちなみに、同誌は、明治44年(1911)3月15日刊行の第4号まで発行されたことがわかっています。
 啄木の「田園の思慕」は、掲載誌が地方出版物で発行部数が少なかったためか、発表当初はほとんど知られていませんでした。しかし、岩波書店版の啄木全集の編集を手掛けた齋藤三郎(さいとうさぶろう)が、昭和初期に同誌を偶然入手し、全集等に掲載されるようになったことから、広く一般に知られるようになりました。齋藤は、同誌入手後、同誌のことについて高木家に手紙で問い合わせをしたようですが、すでに亮助は亡くなっていて、息子のたすく(※注釈2)はよくわからないと返事を書いたことがわかっています。
 「田園の思慕」は、題名のとおり、都会に住む人々が田園思慕の感情を持ちながらも都会で生き続けることの矛盾について、啄木自身の共感とともに、その複雑な心情を吐露(とろ)しています。
 啄木の随筆が『田園』に掲載された経緯は分かっていませんが、啄木の義理の息子である石川正雄(いしかわまさお)によれば、朝日歌壇(かだん)の選者になった時期に執筆されたことから、新聞社を通じて依頼されたものではないかと推察しています。
 「田園の思慕」は、石川啄木全集等に掲載されていますので、興味を持たれた方は、図書館等でぜひご覧ください。

※注釈
1.「高木亮助」及び「高木家」の「高」の字は、正しくは「はしご高」です。
2.「たすく」は、「非」の下に「木」の字です。


『田園』第1号の表紙

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