
| 種別 | 名称 | 指定年月日 | 所在地 | 所有者(管理者) |
|---|---|---|---|---|
| 彫刻 | 木造薬師如来座像 | 昭和38年8月10日 | 上内1280 | 寿徳寺 |
| 彫刻 | 銅製阿弥陀如来立像 | 昭和52年9月8日 | 上川崎407 | 正蓮寺 |
| 彫刻 | 焙烙地蔵 | 昭和53年3月29日 | 栗橋東3-15-7 | 新町 |
| 彫刻 | 単元上人像 | 昭和53年3月29日 | 栗橋東3-7-24 | 深廣寺 |
| 彫刻 | 地蔵菩薩像 | 昭和53年3月29日 | 栗橋北2-14-16 | 経蔵院 |
| 彫刻 | 地蔵菩薩像 | 昭和53年3月29日 | 北広島1328 | 北広島地区 |
| 彫刻 | 阿弥陀如来像 | 昭和53年3月29日 | 栗橋東3-14-14 | 顕正寺 |
| 彫刻 | 善徳寺の木造阿弥陀如来立像及両脇侍像 | 昭和53年11月17日 | 江面864 | 善徳寺 |
| 彫刻 | 木造聖観音菩薩坐像及び厨子 | 昭和60年6月4日 | 菖蒲町小林2279 | 池元院 |
| 彫刻 | 木造毘沙門天立像 | 平成元年2月20日 | 菖蒲町菖蒲4531 | 長福寺 |
| 彫刻 | 木造不動明王坐像(円空作) | 平成4年11月30日 | 菖蒲町河原井137 | 幸福寺 |
| 彫刻 | 木造如来形立像(円空作) | 平成10年2月20日 | 菖蒲町新堀667 | 西願寺 |
| 彫刻 | 木造裸形阿弥陀如来立像 | 平成10年2月20日 | 菖蒲町柴山枝郷1526-1 | 常観堂 |
| 彫刻 | 木造十一面観音立像 | 平成10年2月20日 | 菖蒲町上栢間2767 | 正法院 |
この像は寿徳寺の客仏として、薬師堂に安置された高さ52.6センチメートルの像です。
一木造り、彫眼、漆箔仕上げのこの像は、右手に施無畏印を結び、左手に薬壺をもつ一般的な薬師像です。製作時期は、13世紀の末頃から14世紀前半頃と考えらます。地方仏師の手によるいかにも鎌倉時代の東国彫刻らしい質実な趣を示しています。
寿徳寺は、新義真言宗、京都醍醐寺の末寺で上内山と号し、かつては七堂伽藍を備えた大きな寺院であったと伝えられています。この像は寿徳寺の本尊ではなく、伝来は明らかではありませんが、あるいは往時寺運が盛んな頃の寿徳寺の旧仏ではないかとも推測されています。

この像は高さ22.2センチメートルの像で、両手首より先を除いて頭・体部が一体で鋳像されています。両手はそれぞれ別に鋳像し、ロウ付けされています。
背面には、「奉作立念佛本尊阿弥陀如来 願主 武蔵国長井庄目沼郡(「郡」は「郷」の誤りか) 坂本神左衛門 元亀三年壬申十月吉日」との陰刻銘があり、室町時代後期、元亀3年(1572)の製作で、坂本神左衛門が願主となって造立されたことがわかります。神左衛門はおそらく長井庄妻沼郷(現在の熊谷市妻沼あたり)土着の土豪層の1人と考えられます。念仏本尊とみえるところから推測すると、当初は願主の個人的な礼拝仏として造立されたようですが、いつの頃からか正蓮寺の本尊になりました。
なお、正蓮寺は戦国時代に幸手の領主であった一色直朝の開基と伝える寺院です。

この像は宝永7年(1710)に建立された石仏で、江戸時代に関所破りをした者等の処刑場に、供養のために建立されたと伝えられています。地蔵菩薩の回りには多くの焙烙が奉納されていますが、この焙烙は処刑で火あぶりになった者の供養のため、火にあぶる焙烙になぞらえて奉納されるようになったと伝えられます。
現在では、子どもの成長を願い、炮烙に名前を書き入れ奉納されています。
また、エボ地蔵とも言われ、あげた線香の灰をエボ(イボ)につけると治る、といい伝えられています。

この像は、深廣寺住職であった単信上人自作の像と伝えられています。彩色寄木造で江戸期の作、高さ75.8センチメートル、円頂、玉眼、胸前で合掌し、椅子に座した姿で厨子に納められています。
単信上人は、乗蓮社性誉上人単信圓説大和尚と称し、上野国(群馬県)の農家に生まれ、菩提寺の大蓮寺(前橋市)で、仏門に入りました。
その後、芝増上寺において学び、深廣寺の2代目の住職となり、多くの信者に慕われ、明暦3年(1657)11月3日入寂しました。
この像は、毎年12月2日の「単信様」の祭礼時に御開帳されています。

この像は、珍しい漆乾製(和紙と漆)の地蔵菩薩立像で、江戸時代の作です。
この像を祀る経蔵院は、貞観年代(9世紀後半)の慈覚大師の創建と言われ、 保元の頃(12世紀半ば)には下河辺の荘司であった下河辺行平から寄進を受けて隆盛したといいます。
経蔵院には静御前にまつわる伝説が伝えられています。静御前は奥州にいる義経を慕って侍女琴柱らと旅に出ましたが、途中義経を悲報を聞いて、落胆のあまり病気になり、
この寺で養成につとめたが、露のようにはかない生涯を閉じたと言われてます。
琴柱は静を弔うため、京都嵯峨野から静御前の御持仏である地蔵菩薩を持ち帰り、その後、琴柱が没してから本尊としてこの寺に祀ったとの伝説があります。

この像は鎌倉末期の作と推定され、円頂、彫眼、無蓮台、高さ75センチメートルの立像で、厨子の中に安置してあります。子育ての守護仏と言われています。
この像の安置された地蔵堂は、明治初年に廃寺となった真言宗金剛院の地蔵堂だけ残ったものです。
明治維新の際、廃仏の憂き目にあいましたが、像を移動させようとした人々の回りで怪異が続いたので、移すことを中止したと伝えられています。

この像は鎌倉時代の作で、高さ79センチメートル、顕正寺の中央本尊とは別に厨子に安置してあります。
顕正寺の開基である幡谷信勝は常陸国幡谷城主で、出家して親鸞聖人の弟子となり、唯信と名を改め光念寺を建立しました。
光放寺はその後、兵火にかかり焼失してしまったので、時の住職はこの像が安置されていた下総国古河領中田新田村のお堂に移り、寺号を幡谷山破邪院顕正寺としたといいます。栗橋町の開発に伴い、慶長19年(1614)に寺院とこの像を現在地に移しました。
この像は木造の善光寺式三尊像で、光背も残されています。
中尊は玉眼で、両手指とも一部を欠いていますが、右手は施無畏印をなし、左手も垂れています。台座は2段で、上段は丁寧にしべを刻み、下段は反花です。
左脇侍は宝冠、正面に化仏が刻まれおり、右肩を露出し、左手の掌を上にて右手の掌を重ねています。
右脇侍は宝冠、正面に宝瓶ともみられるものを刻んでいます。その他の作りは左脇侍と同じです。
善光寺式三尊像は、鎌倉時代以後浄土教の発展とともにあらわれた復古的作例であり、埼玉県では鎌倉時代の銅造のものに優品が多いとされています。

この像は鎌倉時代の作で、高さ50.4センチメートルの坐像です。
けやきの寄木造で、玉眼を嵌入しています。作風は運慶様式を基調に、当時影響の強かった宋風を加味しており、時代及び作風の知れる仏像として貴重なものです。この仏像は60年に一度開帳する秘仏として古くより人々の信仰を集めました。

この像は平安時代の作で、ひのき材で武将形に造られた毘沙門天像の立像です。
額部の髻の形や穏やかな忿怒の相、腰回り厚くやや動感に欠ける身のこなしに藤原様の特色がよく表れています。平成12年に修復が行なわれています。
毘沙門天は十二天の一人として夜叉・羅刹を率いて北方世界を守護し、財宝を守る神とされています。また、四天王の一人として多聞天と呼ばれることもあります。

この像は江戸時代初期の造仏僧・円空による作です。
樹齢35年程の杉丸太材を縦半割りにし、その割り放ち面に簡潔・素朴に彫り出されています。両眼を見開き、口に上下の牙を表した忿怒の顔をして身には条帛・裳をまとい、左手に羂索、右手に剣を持っています。像の背面は表皮を剥いだ木肌をそのまま残し、底には鋸の切断面を残しています。
この像は技法からみて、円空晩年の作品で、天和・貞享から亡くなる元禄8年までの間(1681~1695)の作とされています。

この像は江戸時代初期の造仏僧・円空による作です。
小さめの丸材を2つに割り、2面をそぎ落として三角形とし、その木面の稜部側に彫刻されています。頭頂部を肉髻状に彫り出し、法衣をまとい、やや右に体を傾けて岩座に立っています。胸のあたりで法衣中に印を結んでいます。
如来には釈迦如来、阿弥陀如来などがいますが、この像がどの如来を表したものかは分かりません。

この像は室町時代の作で、裸の形に造られた珍しい像です。
右腕を曲げ、左腕を垂下して弥陀の来迎印を結び、両足を揃えた形でやや膝を曲げて台座に座っています。螺髪は切り付けで髪際は一文字、頭部に肉髻珠、額に白毫珠を嵌入しています。
寄木造、彫眼で古色仕上げとなっていますが、像全身が厚いベンガラ状の塗料で塗り込まれており詳細は不明です。
肉髻珠、白毫珠、光背、台座は江戸時代に補修したものです。
県内で確認されている裸形阿弥陀像は他に1例だけであり、全国的にも数の少ない貴重な作例です。

この像は室町時代、特に文明年間(1469~1487)頃の作です。
杉材の一木でつくられ眼を彫り彩色が施されています。宝髻頂上に仏面をいただき、地髪部上下2段に変化面10個を配し、宝冠台正面に弥陀の化仏をおいています。胸には瓔珞を着け、通肩風に法衣をまとい右腕を下げて5本の指に伸ばし、左腕を曲げて華瓶を持っています。
両手先、両足先、右裾先部、華瓶は後に補ったものです。
地味で堅実温和な仕上げや杉材の一木造という技法から、在地の仏師の制作したものであろうと考えられます。

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